人との信頼関係と距離間の話

対人関係

会いたいって言ったらすぐ会える関係とか、大袈裟に言うと週に4.5回もあっているような関係は自分にとっては向いていないと気がつきました。
友達やある特定の人とずっと(毎日レベルの近い距離)一緒にいなきゃ行けないんだ、って心の中で焦ってたこともあったけど、ずっと一緒にいるから距離が近いからって仲良しなんだとはならないのに。


例えば、あるカップルは半同棲みたいな暮らしをしている。

それを聞いて今までの私は「それに比べて私は彼と全然会えてないし、愛されてないのかな?私ももっと会いたいって言った方がいいのかな?電話とか結構な頻度でしてるって言う人多いし、もし誘ってないことが好きじゃないってことになるのだとしたら、私も誘った方がいいか」って思ってしまっていた。

自分の人生を生きている感覚が時々薄い


いつの間にか、人と親密になりすぎて自分自身が吸い取られていっているように感じた。

ふと冷静に過去を振り返ると、あれは”外見が私のただの都合のいい人”。相手が求めたものにただひたすら従う人。

私と言う個人ではないなにか

小学校の頃から、好きな動物や色、スポーツ、俳優、女優、将来の夢などよく聞かれる質問についてはあらかじめ用意していた。あくまでも当たり障りのなく、相手から見て悪い印象の与えない完璧な答え。

(ちなみに、うさぎが好きで、色は相手によってピンクか水色と言い、クラスの中で嫌いな人はいない、将来の夢は国語の先生と答えていました。ここで算数や数学と答えていないのは、計算が得意であるのは男の子で女の子は出過ぎては行けないと言う思い込み?教えな気も。俳優や女優については、今話題のドラマや映画に出ている人を引っ張るか、ランキングで調べればいいって思っていました。)

なるほど、だからパーソナルスペースって大切なのか。

まさに、人との居心地の良い信頼を築いていくのに最適な「距離感」。

そして、何事も「適度に」って言葉。こんなにも使いやすくて居心地の良い言葉はないと思わされました。

「皆が」「普通だったら」こうする、という呪縛


過去の誰かが言った、「大切にしているんだったら(その人のことが)好きなら、もっと会いなよ。普通だったら毎日会いたいって思うでしょ、思わないってことは、、」って言葉が、何度私を掻き回し悩ませたか。

毎日レベルで合わないといられないって思う相手ほど信頼していないことはないって。

人と関わっていく際に、過去の嫌だった思い出や経験から偏った認識が形成され、自分自身の価値観を軸に判断していました。ですが、過去の価値観だけで、これから付き合っていく人たちを判断したり見過ぎるのは良くないことだと気がつきました。

こういうタイプの人は,,,と思い込みが先導して、正しくその人を見ていなかったのだと思いますが、完全に取り払うことは難しいなと感じています。

やはり、何事も”適度に”が大切なんですね^^

料理で適量って言葉が一番苦手な私だけど、人とのかかわりで見栄を張らず100か0思考は卒業しないとなぁ。

私(あぷりこっと)自身の適度な距離間

今まで大勢の集団で何かをしたり過ごしたりするのが、苦手だったし好きな方ではありませんでした。多分、無意識にうちにこの空間にはもう何も生まれないと感じていたからなのかもしれません。

私が好きなのはこれ。

曲の基本的な構成として、イントロ、Aメロ、Bメロ、サビ、Cメロ、アウトロがあります。
イントロとかサビを聴いてイメージを掴める、そして再びその曲をかけるとまた違う曲になっていて、次はどんな歌詞やリズムや曲調がまってるんだろうというワクワク。聞き飽きなくて、状況に合わせて最適な音楽を聴かせてくれる、そんな人・状態。

今もずっと関係が続いているしこれからも続けたいって思う人たちの共通点は、適度な距離で相手を尊敬している、個として尊重していると思えるような相手なのかなと最近は思います。

最後までご覧頂き、ありがとうございます^^

日常生活や人とのかかわりの中で疑問に思ったこと、ゆったり書いていこうと思うので、この記録が少しでも皆さんの役に立つことができたのなら望外の喜びです。

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