「自分は何のために生きているのだろう」
生まれてきた意味なんてないように、考えても仕方がないのに、ふとした時に、この問いが頭によぎってしまうのは私だけなのだろうか。
ここで先に伝えておきたいのは、死にたいという願望はない。
普段私たちは学校や仕事に行き、友達との食事、旅行、好きな趣味への没頭、寝て起きるを繰り返し毎日生活を送っている。
何不自由なことがないのにも関わらず、私は「何のために生きているのだろう」と、”これ”があとどのくらい続くのかと考えてしまい、答えを探してしまっている。
始まりがあれば、終わりがあるように、始まってしまったらある意味終わらせなければ何もない。
つまり、同じ音楽やメロディーが流れている様。
先を読めてしまう、何も変わらない時間が過ぎるのかと思うとすっと冷めて興味がなくなってしまう。
そんな本書「夜と霧」は、自分が生きていく理由を見つけたい人、人生とは何かについて悩んでいる人におすすめしたい一冊。
フランクルの「夜と霧」って?
本書は、オーストリアの精神科医ヴィクトール・フランクルによって書かれた代表作の一つ。
37歳の時にナチスドイツに捉えられ、600万人のユダヤ人の命を奪ったホロコーストを生き延び、あらゆる苦難の中で生きる意味について問い続けた。
これが、80年前の出来事だということに驚かされ、非常に心が痛んだ。
私たちにとっても無関係だとは言えないのではないかと思い、少しでも多くの人にこの現実を知ってほしいと願っている。
内容のあらすじを分かりやすく説明しているサイトは沢山あるので、私が心に残った箇所をピックアップして書いていこうと思う。
なぜ彼はここまで頑張れたのか?
彼はどんな過酷な現実の中でも、常に客観的に状況と心情(心の変化)を分析し、心理学の立場から自分だけでなく他の人々を観察し続けた。
その目的としては、全く新しい人生観への理解を助けることだった。
つまり彼は、人生をかけて「自分は何のために生きているのか、どうして生きているのか」
そう悩む人々のため、その”意味”を発見する手助けをしていたをしていたのだ。
様々な障壁がある中で、私たちにとっての自由って何なのだろう?
長いこと収容所で過ごし厳しい制限・監視されている中で、彼は心理学の観点から、「本当かにそうか?」と自分の思考を疑い考え続けていた。
人は強制収容所に人間をぶちこんですべてを奪うことができるが、たったひとつ、あたえられた環境でいかにふるまうかという、人間としての最後の自由だけは奪えない
夜と霧|ヴィクトール・フランクルt
つまり、状況や周囲を取り巻く環境が変化し、辛くなったとしても自分自身の意識の問題でどうにでもなれるということ。
どんなに環境が良くなくても、周りの人がイライラし私を傷つけても、嫉妬や妬みの感情があったとしても、どんな理不尽なことがあったとしてもどうしようもできない。
支配できないものに対し、不安になり悩んでいたとしても変えられないのだとしたら、唯一変えられるとしたら、それは自分自身。
自分の感情をコントロールし、現状を把握し、今この状況でできる最適な対応、そして意識を持つこと。
私はこの部分を読んでいる時、”エピクテトス”の考え方に似ているものがあると思った。
「何のために毎日頑張って生きているのか分からない、もう疲れた」
「何もしたくない」
そう思った時、成り行きに任せるのではなく、この状況を捉えどう向き合うべきか、常に考えることを怠ってはいけない。
さらに、彼は、この苦しみや悩みにはそもそも意味があるのかと考えた。
自分の生きる意味は何なのかと悩むということ、それを含めて生きるということなのだろう。
ダメだと分かっていて悩むのだとしたら、それは無意味なものになる。
自分の力ではコントロールできない運命や偶然の出来事によって頭を悩ませることは、そんな生はもともと生きる意味に値しないのだ、と彼は言っている。
何のために生きる?見つけた私なりのストーリー
私は時々、そして急に”自分の人生を生きている感覚が薄い”と感じていたことがある。
しかしそれは波があり、ずっと続くわけではなかった。
人は、この世にもはや何も残されていなくても、心の奥底で愛する人の面影に思いを凝らせば、ほんのいっときにせよ至福の境地になれる
夜と霧|ヴィクトール・E・フランクル
私は人と会いたくなる理由として、この人の笑顔がまた見たいと思った時だ。
この人の笑った顔が好きだから、私は無意識のうちにむしろ進んで必死に喜ばせようとしてる。
これも、誰かがいることで成り立っていたのだと、思い知らされた。
私が好きなあなたの表情には何種類もの色がある。
灰色が混じったモノクロだった世界は、あなたが生きていれば私の中の景色が色づいていく。
そして、あなたの笑顔でやっと完成になる。
この思いが届かなくても受け入れられなくても、自身の中で出会い、あなたと話した時間はとてつもなく幸せだった。
それは生きる上で強力な力になる。
生きる意味なんてあるのか
人間が生きることには、つねに、どんな状況でも、意味がある
夜と霧 ヴィクトール・フランクル
もはや何も自分にはないと、希望を持てないと思っていたとたら、この言葉を思い出してほしい。
「生きることが彼らから何かを期待している」
自分を待っている仕事や存在、意識、自分にとって大切な人達に対する責任を自覚すれば、自分がなぜ存在しているのかという未来の目的がはっきりするので、まだ死ねないと思えるのだという。
彼は、「生きていれば、未来に彼らが待っている何かがある」ということを衰弱した仲間たちに必死に伝えていた。
ここで挙げられていたものとしては、目に入れてもいたくない子供と仕事の存在だった。
”自分を待つものはもう誰もいない”
そう思っている人もいるのだろうか。
ここでのお話に対して私は、待っている対象は、目に見えず形にできない自分の内面にあふれる素直な感情も含まれるのではないかと考えた。
今まで見たことのない景色や経験によって、いや綺麗な青空に広がる真夏の入道雲を見て、私たちの心は踊りエネルギーが沸き上がり、その瞬間生きているということを実感する。
この想いは自分自身の中に永遠に保存され、確実な事実となり、あらゆる状況の中でも照らしてくれるのではないかと。
そこでもし、この経験を誰かに伝えたいと思えた時に巡り合えたらなら、また異なった世界があるのだろう。
ここまで、私が印象に残った箇所を書いてきましたがいかがだっただろうか。
初めて読んだ後は、彼の生き様や姿勢には頭が上がらなかった。
公平な目で、被収容者、監視者の全ての人間を考察し、所属しているグループというフィルターを外し
て、1人の人間として向き合い、枠を基準に判断しない彼の考え方は、いかなる時も、相手に敬意を払い
ながら行動したり発言するべきなんだ、と言うことを身をもって実感しているように思った。
少しでも、フランクルという人物に興味を持っていただけたなら、私にとってもこれほど嬉しいものはない。
最後までご覧いただきまして、ありがとうございます^^
ゆったり書いていこうと思うので、この記録が少しでも皆さんの助けになったり役に立てたのなら望外の喜びだ。
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