この楽しい出来事がずっと続いてしまうと、それが当たり前になって感動も楽しいと思わなくなってしまうのだろう。
それは、ずっとこれからも続くのだろうのだと無意識の中で信じてしまっているからだ。
だけど、その当たり前の日常が目の前からなくなったときに、はっと気づかされる。
本当の優しさは後になって心に残り、思い出すように。
追想に胸が張り裂けそうになり、感情を意識するその前に(知らぬ間に)目の前がぼやけていた。
1人で生きるには便利すぎる時代に
現代は、情報や手段や、選択肢、あらゆるものが自由に手に入る時代。
1人旅行、趣味、食べ物巡り、○○。
1人だと自分の思うようにできるし、疲れないし、気を遣わなくて済む。
確かに楽だ。
ずっと誰かといると、1人になりたくなってしまう気持ちも分かる。
では、私はなぜ楽だと思うんだろう。
相手の顔色を窺って、自分自身の殻に閉じこもって、他人の目ばかり気にしているからなのかな。
1人だと自分のやりたいようにできるし、自分に好きなだけお金をかけられるし、めんどくさい制限とかないし、自由だから,,?
自分を取り巻く環境・現実から目を背けたい、なぜここまでして頑張らなくてはいけないのか。
今私は何のために頑張っているのか、頑張る意味は、そもそも生きる意味は何なのか?
答えなんてないのに、そればかり求めたくなってしまう。
だけど、”意味がない”と現実に対してそう抱いていた感情は、自分の力では生みすことのできない美しい自然によって完全に打ち消されたのだった。
いつもよりもちょっと都会から離れて、どこまでも広がる青空を眺め、地平線にいっぱいに朝日が渺々たる波の彼方に昇っていくのを眺めた。
それはこの世のものとは思えない美しさで、心が浄化され私を満たした。
あなたの生は何のため?
何か目標がある時は比較的生きやすい。
分かりやすく言えば、義務教育の学校。
自分から何かしなくても、常に与えられ守られ、やりたくなくても考えなくてもやらなければいけないことが決まってて、年間スケジュールに通りに過ごしてればよかった。
与えられた課題を乗り越え、何となくでも学校に行っていれば進級できる。
そして一年たてばまた、クラス替えになり新しい生活のスタートが始まる。
去年失敗してもリセットされたかのように、またやり直せばいい。
「中学では、勉強してなかったけど高校になって勉強を頑張るようになった。」
時間が過ぎれば勝手に取り巻く環境も変わって、目標も友達も次の楽しみにしていること、も変化する。
学校を卒業し、社会に出れば雰囲気はガラッと変わり、自分自身で生きていかなくてはいけなくなる。
学校のように縛られた規則やテストはなくなり、ある意味自分の好きなように生きていける。
その時に、思考を停止させ、ただがむしゃらに働き、言われたことに対して疑問や反論を持たず、無知なものは徹底的に社会に搾取される人生。
賢い人が生きやすく過ごしやすい社会。バカは知らないまま働きアリ。
そして疲労とともに、自分は何のために生きているんだろうって感情が押し寄せる。
こんなものの為に生きているんじゃないって、明日に希望が持てず、何がしたいなんてわからない。
今想像できるのは、楽したい、働きたくない、考えたくない、全てがめんどくさいという気持ちだ。
人生に絶望し、何もかも失っても今目の前の状況がどんなに辛くても、過去だけは奪われない。
今まで経験した楽しかった思い出、ワクワクした記憶、友達、大切な人・家族との時間は誰にも邪魔されない。時空を超えていつでも会いにいける。
目の前のことで頭いっぱいいになっていると、今まで大事にしてた思い出や面白そうという純粋な感情は薄くなってしまうけど、自分の中からなくなったんじゃなくて思い出せていないだけ。
私にとって大切なその人がここにいなくても、その人を思うだけで心が笑顔になりエネルギーが込み上げてくる。
その人が”存在”している(いた)と思うだけで。
一人で生きていくためには十分すぎるほどのこの世の中で、それでも誰かとともに生きたい。
分かりやすい例えだと、結婚だろう。
偏見だけど、結婚って面倒で大変で、自分の時間なんてなくて、子供が出来たら人生をかけてお金と時間を費やすことになる。
結婚、まだしたこともないし予定もないから難しいことは分からないけど、いい点は自分勝手じゃなくなること、もう一つは愛を実感し人生を通して夢中になれるということだと思う。
1人で生きていたら自分のことしか考えないけど、自分自身を見つめ直すいい機会になるんじゃないかなと。
出会って13年の友達の世界大会
友達の世界大会に見に行けることになった。
なんだろう、この心の高まり。
この”高揚感”。
その友達に”会うだけ”で、”見てるだけ”で自分の中のエネルギーが湧き上がってくる感覚。
この人といると本当楽しくて、頑張ってほしいって思えて、前から会えるこの日をすごく楽しみにしてた。
試合が始まり、圧倒的有利だった状況から、思いがけない反則が飛び出し、終わった。
一瞬だった。
判定が敗北となり、すごく悔しかった。
終わった直後、この結果を信じたくなくて心のどこかにポカーンと穴が空いたのが分かった。
煙とともに登場するあなたを見た時に、今までの一緒に過ごした思い出が一気に込み上げてきて、(しかもふざけてる時の友達の顔笑)心の底から「かっこいい」って思った。
意識が気がつくより前に、その瞬間と言うかその次元を超えて私は既に泣いていた。
一人だけでは味わうことは出来ない瞬間も、誰かと一緒なら。
私は、思い出せる過去のために生きたい。
そして人を思う気持ちこそ、どんな辛く苦しい場面に直面しても乗り越え、この人のために頑張ろうと思える、心豊かな気持ちになれるのだと思う。
つまり、楽しかったなと思える過去があるって幸せなことなんだと。
それはどんな困難をも乗り越える私の一番の心の支えになるのかもしれない。
最後までご覧頂き、ありがとうございます^^
日常生活や人とのかかわりの中で疑問に思ったこと、ゆったり書いていこうと思うので、この記録が少しでも皆さんの役に立つことができたのなら望外の喜びです。
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