この感情を自分のものじゃないように振舞っていた

対人関係

私たちは普段の日常の中で、感情を支配し時には支配され、踊らされている。

日常で時々訪れる心の変化

話してて楽しいって思って次の日起きると、昨日の感情は自分のものじゃないみたいに、私の中からすっと消えてる。
この気持ちのループ、どれくらい繰り返せば良いんだろう。

どうしたら良いんだろう、と言うかそもそも私は解決策を本気で求めていない気がしていた。

どこからか別の私が私を見ている感覚

仮に、友達か誰かに「こう考えてみたら良いんじゃない?考えすぎだよ」って言われても、その時は全肯定をする私しか出てこないのも分かる。

私が原因を探したいのか、何をしたいのか私はいまいち分からない。

たまに自分じゃない誰かが言葉を並べて、話してる感覚がある。気持ちを入れたくても入れてくれないし入っていかない。

間違いなくその時は楽しかったのも事実だし、話してる相手もことも好きだし、話した内容にも嘘はないはずなのに、今のこの無の感情がある事で全てがそれを私を否定して、”お前はその人を弄んでる悪いやつだ”って言ってくる。

その人が今辛くて寂しい状況っていうのが分かってて、その弱みに漬け込んで私は”優しさを振り撒いて満たされてるだけだろ”って言ってる。

たいしてそんな考えても悲しんでもないくせに同情向けて悲しんでいるように言葉並べて、その人には私しかいないって思わせて、”この圧倒的有利な立場から見てるだけだろ”って。

それで、相手が「(自分)は優しいね、話聞いてくれてありがとう」って。

私は無意識に、私のおかげであなたが元気になったという状況に存在価値を置いている

つまり、自分の承認欲求的な感情のために利用しているんだって。

結局、自分が傷つくのが怖い?

もしかしたら私ばかりが好きで、相手に愛想つかれて嫌われて否定されることが怖くて傷付きたくなくて、感情と言葉を切り離して発してしまう感覚がある。

しかもその状況をまた別の視点から別の私が見てて、本当はこう思ってるはずなのに、こうしたいって思ってるのに、全然私は興味がありませんよってそう思わないように振る舞ってるって思われてる。

たまにどの視点の私が喋ってるか分からない

例えば、ここ笑うタイミングじゃないでしょ、と言うタイミングで笑ってしまう。私が笑ってるんじゃなくて、その状況を上から見ている私が笑ってる。

気持ちを入れたいけど、”そこ”に入っていかないんだよね。

入る前に自分自身を制御してしまうのが癖になっているから、少しずつ相手のことを受け入れるように関わり続けるしかないのかなーなんて思ってる。これが難しいんだけど

最後までご覧頂き、ありがとうございます^^

日常生活や人とのかかわりの中で疑問に思ったこと、ゆったり書いていこうと思うので、この記録が少しでも皆さんの役に立つことができたのなら望外の喜びです。

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